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86歳で引退の戸田奈津子さん、トム・クルーズに引き留められていた

ハリウッド映画のエンドロールでこの方の名前を見ないことがないほど、50年以上にわたって数多くの翻訳を手掛けてきた戸田奈津子さん。夢だった字幕翻訳家として本格デビューしたのは、40歳のときだったとか。夢を掴む秘訣から、ハリウッドスターとのエピソードまでたっぷり伺いました。

映画の中に生きた人生。結婚したいと思ったことは一度もありません

鮮やかなターコイズブルーのシャツに、パリで見つけたビーズのネックレスを合わせ、白のパンツスタイルで颯爽と。スタジオに現れた途端、周囲をパッと明るく照らし、その圧倒的オーラたるや、とても86歳には見えません。千人近いハリウッドスターとの出会いは人生の刺激になったとか。

《Profile》
1936年生まれ。東京都出身。津田塾大学卒業。フランシス・フォード・コッポラ監督の『地獄の黙示録』で本格的に字幕翻訳者としてデビュー。『E.T.』『タイタニック』『ミッション:インポッシブル』をはじめ、数々の映画字幕を担当。洋画字幕翻訳の第一人者としての地位を確立。川喜多賞、日本映画ペンクラブ 特別功労賞など多数受賞。

超一流の映画人との交流は人生の刺激になりました

トム(俳優のトム・クルーズさん)が初来日して以来、30年にわたって通訳を務めてきました。映画『ラスト サムライ』では、長期間日本に滞在していたし、非常に親しくなったんです。私にとって特別な存在ね。その間、何度か『トップガン』の続編を撮らないの?と尋ねると、「ヒットしたからすぐに続編を撮るとは限らないんだ」と生返事でした。今回、すべての条件が揃って『トップガン マーヴェリック』が今年公開され、しかも大当たり。本当に嬉しかったですね。トムもすごく喜んでいました。

5月に4年ぶりに来日したでしょ。今回お茶をする時間があったので、これを最後に通訳を辞めることを伝えると、引き留められました。長い付き合いなのに、そのとき初めて私の年齢を明かし、「今後通訳として100%の力を発揮できないと、あなたに申し訳がない」と辞退。そうしたら最終的には理解してくれました。


彼も今年還暦。1作目の時はさすがに若さピチピチだけど、36年後の今もとても還暦には見えません。食事に気をつけ、アルコールは飲まず、美しい年の重ね方をしていると思います。実は誕生日が7月3日で私と同じ。偶然わかって以来、誕生日の朝には花束を贈ってくださいます。

トムとの思い出はあまりにも多すぎます。映画にかける情熱は人並み外れていますね。彼が撮影でスタントマンを使わないのは有名な話で、毎回驚くような話を聞きます。例えばシリーズ5作目の『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』で水中を潜るシーンでは、心拍数を落として呼吸をコントロールする訓練までして、普通なら1分息を止めるのですら精一杯のところ、最長6分半息継ぎなしで潜るところまでいったそうです。本編ではその一部しか使われないのに、です。

来年公開の最新作『ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE』のプロモーション映像では、飛行する複葉機の上に立ち上がり、観客に向かってメッセージを贈るなど、信じられないことは当たり前。スタントマンを使えばいいのに、映画を知り尽くしているからこそ、ファンを裏切りたくない一心で、必ず自分がやるところを見せる。毎回命がけ。その点はクレイジーよね。

今はハリウッドの俳優が来日すると会見など2日ほどですぐ帰ってしまいます。通訳を始めた40年前は、プロモーションの仕方が随分違っていて、日本に1週間は滞在し、東京と大阪で記者会見をするのが普通でした。大阪に行くと、京都に行きたいとなるでしょ。私は通訳で同行して一緒にぶらぶら歩き、ご飯を食べれば親しくもなる。トム以外にもリチャード・ギア、ブラッド・ピット、ジョニー・デップなどと交流があります。といっても、千人以上の方々の通訳をしましたが、個人的に親しくなるのはほんのひと握り。超一流の映画人の方々との交流は、人生での大きな刺激になりました。

そもそも私は通訳の仕事をしたかったわけではなく、映画の字幕翻訳家を目指していたんです。

 

夢が叶ったのは40歳。きっかけはコッポラ監督

戦後、洋画が公開されると母や叔父に映画館に連れられ、たちまち映画に夢中になりました。少しでも会話を理解したくて、中高生のときは真面目に英語の勉強をし、いつしか字幕翻訳家になることが目標になりました。しかし字幕翻訳は特殊な職業で、大学卒業後はとりあえず生命保険会社に就職。ダサい制服や、当たり前ですが勤務時間は9時5時と決められ、束縛されるのが嫌で1年半で退職。その後は夢を叶えるために、アルバイトをしながら英語を磨きつつ、字幕の世界を目指しました。英語は中学英語が基礎なんですよ。それを土台にボキャブラリーを増やし、映画から教科書では学べない生きた表現や会話を学びました。

英語以上に日本語の勉強も必要で、本もよく読みましたね。でも、適齢期も過ぎて30代になっても一向に夢は叶いません。そんなとき、ある映画会社から通訳の仕事が舞い込んだのです。翻訳は話す必要がないから、会話の勉強はゼロ。通訳で恥をかくことはわかっていたけれど、映画のミーハーファンとしては、例えばロバート・レッドフォードが来日すると聞けば、会いたいじゃないですか(笑)。そういう“餌”に釣られて、恥をかきつつ、通訳の仕事が独り歩きを始めたのです。英語を話せる人が滅多にいなかった、あの時代だからこそ成り立ったこと。そういう意味では、本当にラッキーでした。

その流れで、映画『地獄の黙示録』をフィリピンで撮影していたフランシス・フォード・コッポラ監督が来日時に通訳をしました。そして信頼関係が築けたころ、彼があの話題作の字幕翻訳に私を推薦してくださったのです。嬉しかったですね。20年待ってやっと叶って。40歳を過ぎていました。


その20年間の中途半端なときがいちばん辛かった時代。かといって毎日悩んでいたわけではないわよ。叶うかどうかわからない。でも明るいほうばかり夢見て、もし叶わないと、そこで壊れちゃうでしょ。ですから、いつも叶わないときのことも覚悟していました。願い事というものは五分五分。叶わない場合を覚悟せず、成功ばかり夢見ていたら立ち直れないもの。それではいけないと自分に言い聞かせていました。


待ち望んだチャンスが来てからは、1回1回をものにしていく覚悟で頑張りました。100点ではなかったかもしれないけれど、20年間やれることをやっていたことも役立ちました。それからは次々と字幕の仕事が舞い込み、年間50本、ほぼ週1で1本の映画を仕上げる生活が30年以上続き、一度も締め切りに遅れたことはありません。字幕の世界は実力主義。厳しいのです。


コッポラ監督に出会ったのは運命。大恩人。今はワインを造っておられ、コロナ禍直前にはナパのお屋敷に伺って、泊めていただきました。


私は寝なきゃダメで、睡眠時間を7時間は取らないと、翌日集中できません。寝る以外は机に座ったきりで、ストレッチをしたり姿勢に気をつける時間もなかったですね。もともと運動が大嫌いだから、学生時代から運動をしたことがない。ついでに歩く程度です。

 

クラシック映画が充実しているU-NEXTで、ジャン・ギャバンやビリー・ワイルダーなんかを観ています。あの頃の映画って本当に素晴らしくて、今観ても新鮮ですね。

嫌いなことをしないからストレスがまったくない

食生活は1日1食半。コーヒーとトースト1枚のブランチ。夕飯は手のかからないものを適当に。アルコールは好きですが、カロリーが問題。水を見ても太るたちなので、醸造酒は控えて、ウオッカやジン、ワインぐらいです。サプリは一切飲みません。普通の食生活で栄養は摂れていると思うから。

これほど何もしていないのに病気をしたことがなく、今もどこも悪いところがない。疲労も感じないし、更年期は1日たりともなかったわね。鈍感なのかしら?風邪はお義理で年1回くらいはひきますが、熱は出ませんね。


たまに仕事の切れ目があると友人と旅行に行きます。すると起床後10分で出発OKの私にみな驚きます。洗顔し、化粧水をパタパタつけ、日焼け止め入りの下地をつけたらおしろいをはたき、髪を梳いて終わり(笑)。化粧品は、30年ほど前にカネボウの社長さんにいただいたローションが気に入って、今も同じものを使っています。顔に時間をかけません(笑)。なのに今もシミやシワはほとんどないみたい。


「元気ですね」とよく言われますが、健康維持の秘訣はストレスがまったくないこと。それって簡単よ。嫌なことをしなければいいんです。嫌いな運動はしない、嫌いな人とご飯は食べない。健康にいいという食材も無理して食べません。もちろん、仕事では多少の妥協もありますが、私の仕事は幸いにも完全な一匹狼。わがままが利くところも私に合っているんです。

 

76歳まで母と2人暮らし。亡くなった今もそこにいます

1歳で父が亡くなり、10年前に母が97歳で亡くなるまで、ずっと2人暮らしでした。私は忙しかったから何もできなくて、家事は全部母がやってくれました。本当にありがたいことです。親不孝もいいとこでね。何もしてあげられなかったですね。唯一の親孝行は年2回一緒に海外旅行をしたこと。母は定年後、1人でパッケージ旅行をしていましたが、そのうち母娘で行くように。飛行機とレンタカーだけ予約して、予定も立てず行きあたりばったりでヨーロッパの田舎をドライブ旅行。美味しい国が優先で、フランス、イタリア、スペインにはよく行きました。事前にホテルを予約すると、そこまで行かなくてはいけないのでそれがストレスになります。だからホテルは決めず、夕方に周囲を探すと、たいてい小さないいオーベルジュがあるんです。とっても気楽な旅。楽しかったですね。母も喜んでくれていました。

普段、母とはドライな関係で、住居は共にしていましたがお互い勝手なことをして独立していました。だから亡くなってからも空気みたいにいる感じがするのよね。夢にも出てくるし、いなくなった感じがしないの。喪失感はありません。世の中すべて考え方次第。すべていいほうに考える性格です。


母は美人だったの。再婚の話もあったのに全部蹴飛ばしていました。1人が気楽だったのでしょう。私が結婚しなかった理由のひとつは母の影響もあります。20代はお見合いも勧められましたが、仕事を捨ててまで結婚したい人はいなかったな。周囲にも、こんな夫なら欲しいと思う男性っていないのよ(笑)。嫌な男と結婚して我慢していることほど人生を無駄にしていることはないでしょ。


80代半ばになって振り返っても、人生って短い。あっという間。やりたいことをやらないと。いやいや生きていたら、自分に申し訳がない。もちろん人に迷惑をかけないことが前提ですよ。そのうえで嫌なことは避けて、自分が好きなこと、楽しいことを追求しているのが私です。

 

本から得た教養は絶対に無駄にならない

仕事が忙しかったときは本を読む時間がなくて、それが今までの人生で一番の悔い。だから余裕が生まれた今は、存分に本を読んでいます。司馬遼太郎や塩野七生さんなど歴史ものが好きですね。本は字を読み、行間を読んで理解するでしょ。成長できます。SNSに夢中になるより、よい本を読むこと。情報は古くなって何の役にも立たなくなるけれど、本から得た教養は絶対に無駄にはなりません。

年を取ると友達が減るって言うけど、私はこのところ増えているの。どこに行っても年長だから、年上の友達は少ないけど、50代60代の友達が増えています。この方面白いなと思ったら、メルアドを交換して一緒にご飯を食べたりする。そうこうするうち、いくつかのグループができました。映画業界の人は少なくて、違う分野の友達が多いですね。刺激があって面白いですよ。そのすべてに共通するのは食べることが好き。美味しいレストランがあると聞くと、東京の端まででも食べに行きます。楽しみを共有できる友達が多いって、すごく幸せ。結局、満足する生き方をしていれば、満足する日々を送れると86歳の今、実感しています。

 

戸田さんが40代に伝えたいこと

自分の年齢を意識したことは今まで一度もありません。私は絶対にくよくよしたり落ち込んだりしない。何事もいいほうを見る性格なので、常に今からが人生だと前を向いて歩いてきました。

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2022年『美ST』12月号掲載
撮影/須藤敬一 ヘア・メーク/Chica 取材・文/安田真里 編集/和田紀子

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