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女優・黒木 瞳さん「何歳になってもキラキラと輝く瞳を持ち続けたいですね。目薬さしながら(笑)」

宝塚歌劇団で頂点を極め、女優としても常にトップを走り続ける黒木 瞳さん。年齢を経るに従い、映画の監督に舞台の企画演出まで手掛け、常に挑戦と失敗を恐れないポジティブパワーの持ち主。その一方で、30代より40代、40代より50代……と、美しさの進化は止まることがなく、果てしない可愛らしさに満ちている人。どこからどう見ても奇跡の圧倒美なのです。黒木さんの美しさの秘密に迫ってみました。

日常からいいものを長く使うカッコ良さが、 1日1日を丁寧に、という生き方にも反映しています

ニット¥66,000、パンツ¥91,300(ともに3.1 フィリップ リム/3.1 フィリップ リム ジャパン)ピアス(左)¥59,400、ピアス(右)¥59,400、リング¥85,800(すべてトーカティブ/トーカティブ 表参道)

《Profile》
福岡県出身。81年宝塚歌劇団入団。2年で月組娘役トップ女優になり、85年に退団。以降、多数のドラマ、映画、舞台で活躍。97年映画『失楽園』で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞受賞。16年映画『嫌な女』、20年『十二単を着た悪魔』では監督業で活躍。今秋、舞台『甘くない話~ノン・ドサージュ~』では舞台演出も務めた。

昨夜、仕事が終わって帰宅すると娘が待ち構えていて、ひとしきり美容トークで盛り上がりました。私が美容に対して無精なので、「きちんとお手入れしてね」「もう少し栄養のあるものを食べてね」と叱られ、ビタミンEとCを効果的に配合したユベラ‐Cを「明日から1日3回」、飲む葛根湯を「元気になるから飲んでね」と渡されました。私、シャンパン飲んでいるのに(笑)。老いては子に従えと言いますから、早速守っています。とはいえ友達親子という関係は好きじゃなくて、お互いに甘えることはあっても「私は母親です」という距離感は保っています。でも彼女から、新鮮な情報や興味など今の時代を知るのは楽しいですね。

37歳で娘を出産。結婚したのが30歳で、「子供はできないね」と言いながら、大人仕様で子どもには危険がいっぱいの家を建てた直後、妊娠して驚きました。特別な治療もせず、神様が授けてくださったと思いました。当時女優は子供が小学校に入るまでお休みするのが普通でしたが、産後1カ月半で復帰。8カ月まで母乳をあげたので、撮影所のトイレでおっぱいを搾っていました。映画『失楽園』に出演した翌年のことです。

一方、夫は私の仕事に対して何も言いません。女優と結婚した覚悟というよりも受け入れてくれています。結婚した時は「連絡しなくても毎日会える、なんて素敵!」とラブラブな私たちも、今や朝風呂の順番を取り合う関係です(笑)。今年真珠婚を迎え、「真珠、真珠」って言い続けたら、14ミリのパールのネックレスを買ってくれました。嬉しかったなあ。

今の生活は、超早寝早起きで、夜の7時に寝ることも。起床後は白湯を飲んでから紅茶をいただき、500㎖の水を飲んだら、猫の世話をしたり、洗濯物を畳んだり。それからスキンケアです。唯一続いていることは、30代前半から洗顔をしないこと。朝は化粧水でふき取り、美容液と乳液、夜はクレンジング剤をコットンにつけてファンデがつかなくなるまでふき取り、化粧水・美容液・夜のクリームを。水が顔につくのはシャンプーの時くらいかな。実は30歳になった時、憧れの高級化粧品を使い始めたら肌が荒れて、カメラの前に立つのもストレスなほど悲惨な時期がありました。敏感肌の私には合わなかったみたいで、結局スキンケアをシンプルにし、洗顔もやめたら肌トラブルがなくなり、子供を産んでさらに丈夫な肌になりました。

だから特別なことは何もしないのですが、仕事柄毎日のように画面に映る自分を見るでしょ?そうすると、キレイでいなきゃと思うのよね。常に女を捨てない意識は持ち続けています。その気持ちは30代の頃から変わっていないかな。テンションを上げる持ち物も年代ごとに選び抜いてきました。32歳で夏木マリさんと共演した時、稽古場にしっかり使い込んだ黒のケリーを持っていらっしゃり、なんてカッコ良いのと思ったの。新品の良さもあるけれど、普段からいいものを毎日使う生き方がオシャレでしょ。私もまねっこさせてもらって、ケリーを30年使い続けています。今やボロボロで先日革をお直しに出し、リニューアルしました。宝塚を辞めた直後に紺で揃えたエルメスの財布・小銭入れ・キーケース・手帳も今も使っています。ケチなのかもしれないけど、大切に使い続けたい。本当に忙しかった40代50代でしたが、物と同じで、出合った作品も役柄にも1つ1つに心を配り、1日1日を大切に丁寧に生きてきました。

「失敗しない人は挑戦しない人」 守りすぎず、いくつになっても覚悟を決めて飛び込む勇気を大切にしたい

「生涯女優」。死ぬ時は舞台の上だと信じて疑わなかった私も50代で辞めたくなったことが1度だけありました。その作品は単純につまらなく感じて、女優でいること全てに虚無感を覚えたのです。これを最後の作品にしようと本気で決意し、家族に告げると、2人とも3秒の間があって、「いいんじゃない」と。でも次の作品をいただいて新しい台本をめくると、どう演じるか髪型や衣装まで妄想が広がり、受け続けて今に至り……。その時のことは娘に「やめるやめる詐欺」と言われています。実はその前にも結婚直後に、やりたくなかったけれど周囲の勧めで仕方なく出演した連ドラ作品がありました。撮影中3カ月間無になって演じ切り、終了後に夫に手伝ってもらい、自宅のベランダで台本を全部燃やしてスッキリしましたが、なかなか燃えなくて、蚊に刺されながら泣いた痛恨の思い出。以降、生理的に受け付けない仕事は断ることもあったんですけどね。昨年から自粛に入ったでしょ。舞台もドラマもなくなって、中には不安を感じる役者の方も多いと聞きました。でも私は何も怖くなかった。それは、辞めようと決意した経験から、何事も受け入れられるようになったのだと思います。

最近は、映画監督も手掛け、今年は舞台演出にも携わりました。何かを削ぎ落とすと、新しいものが生まれてくるということなんでしょうか。役者と監督は同じエンタメの世界にいながら、役者は監督のイメージにより近づき、監督は役者に自分のイメージを演じてもらうという対岸の作業。だから逆の立場の監督を経験することによって、スタッフの苦労が身に染みて理解でき、感謝の気持ちが一層湧きました。本当にやってよかったと思っています。でも最初の映画監督作品『嫌な女』の依頼があったときはものすごく迷いました。私は慎重派で、石橋を叩いても渡りません。ずっと叩いているとその橋が壊れて、覚悟を決めざるをえなくなり、飛ぶしかなくて、一気に飛ぶんです。アインシュタインの「失敗しない人は挑戦しない人だ」という言葉のように、私の場合、挑戦と呼ぶほどカッコ良いこととは思っていませんが、覚悟を決めるのは失敗してもいい、リスクを背負ってもいいと思う時。そのリスクを乗り越えようとして自分で精一杯励むから怖くないのです。失敗しても成長する自分が想像できるのでしょうね。

「強い」「凛としている」「ポジティブ」とよく言われますが、全部真逆。暗くてネガティブです。とことん落ち込むし、泣くし、絶望に打ちひしがれもします。そういう自分を知ってるし、そこを受け入れてもいます。でも、逆境がやってきた時は、みんなに話す、自分のいけないところがあったら反省も含めて喋るんです。それで大好きなシャンパンを飲んで寝てしまう。朝になったら、亡くなった父母にお茶を上げて、「今日もよろしくー」って手を合わす。今ここにいることは、父母や祖父母のお陰だから、生を受けたことに感謝をして、また誰かの役に立ちたいと原点に返るのです。それでも元気がでない時もあります。でもそれが人間だから。

私はね、仕事で苦しんでいる時も、仕事が終わってシャンパンを飲んでいる時も、映画を観てぽろぽろ泣いている時も幸せです。どうでもいいくだらないことにめちゃくちゃ笑って、何度も思い出し笑いをすることもしょっちゅうです。日常のとても些細な出来事を、そのまま流さないで拾い上げて、笑ったり泣いたりをあえてしているのかもしれません。楽しいことってたくさんあった方がいいじゃないですか。だってせっかく生きているのですから。ガハハと笑って、何歳になってもキラキラと輝く瞳を持ち続けたいですね。目薬さしながら(笑)。

ドレス¥209,000(ヌメロ ヴェントゥーノ/イザ)ピアス¥935,000(アントニーニ/コロネット)

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2022年『美ST』1月号掲載
撮影/下村一喜 ヘア・メーク/黒田啓蔵(Iris) スタイリスト/後藤仁子 取材/安田真里 編集/漢那美由紀

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